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590 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/02(日) 14:26 ID:Bo6Y6OBD
 翌朝、アスカが目を擦りながらダイニングにいくと、眠気の吹き飛ぶ光景が
待ちかまえていた。
「……な、なによこれ」
「あ、おはようございます、アスカ様ぁ」
 アスカに気づいたシンジが、昨日の調子で挨拶してくる。にこにこと嬉しそ
うだ。
「さ、様はもういいってのっ。しゃべり方も普通にしなさいよ」
 アスカは赤面して言ったが、シンジは納得できない様子でアスカを上目遣い
で見る。
「でも…僕はアスカ様の奴隷だから……」
 アスカは頭を抱えたくなった。
「ああっ、奴隷とか言うのも禁止! いい? これは命令よ」
「はぁい」
 命令と聞いてシンジは、笑顔でうなずいた。
「で、これ≠ヘなんなのよ」
 目の前のテーブルには、料理が所狭しと並べられている。どれもアスカの好
物ばかりだった。パーティーでも開けそうな量がある。
 シンジは、えへと、照れ笑いして答えた。
「アスカ様…じゃない、アスカに喜んでもらいたくて」
「あのねぇ、限度ってもんがあるでしょうが。朝っぱらから、しかもこんな量、
誰が食べられるっていうのよ」
 特に語気を荒げたつもりはなかったのだが、
「ご、ごめん……」
 シンジは笑顔から一転、この世の終わりのような表情を浮かべる。アスカは
慌ててフォローした。
「ま、まぁ、作っちゃったもんはしかたないわね」
 アスカはテーブルに着いて、あらためて料理を見渡した。アスカの好物ばか
りだから、肉料理が中心だ。一通り箸をつけるくらいは、しなくてはいけない
だろう。
(太るかしらね……)
 と、ミサトが顔を見せた。いつの間にか帰っていたらしい。


592 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/02(日) 15:21 ID:Bo6Y6OBD
「おっはよ。あら、すごいごちそうじゃない」
 ミサトは、舌なめずりした。
「おはようございます、ミサトさん」
「シンちゃん、あんまし夜遊びしちゃだめよん」
「えっ、あ、はい……」
 ミサトに言われ、シンジはたじろいだ。ミサトはどこまで知っていて言って
いるのだろうかと、アスカは思う。
 アスカの耳元に、ミサトが口を寄せた。
「仲直りできたみたいで良かったわね」
「ちょっと、そんなんじゃないったらっ」
 反論しようとするが、ミサトは意味ありげにウィンクして自分の席に座って
しまった。

 結局、料理は半分以上残ってしまった――それでも、ビールまで持ち出して
ミサトが相当な量を平らげたのだが。まあ、夕食の時に温めて食べればいいだ
ろう。
 登校中はシンジがアスカの鞄を持つことを頑強に主張して弱ったが、アスカ
は鞄を渡さなかった。いつもなら押し付けることも多いのだが、自分から言い
出されると返って渡しづらい。
 登校してからも、シンジの変貌ぶりを周りに悟られぬように気を張りつめて
いたので、二時間目が終わる頃にはアスカはすっかり疲労してしまっていた。


594 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/02(日) 15:42 ID:Bo6Y6OBD
「う〜〜」
 机に突っ伏して唸っていると、親友のヒカリが声を掛けてくる。
「どうしたの、アスカ? すごく疲れてるみたいだけど」
「うん、ちょっとね……」
 アスカは、目だけをヒカリの方に向けて答えた。
「だいじょうぶ? 保健室いこうか?」
 ヒカリは、世話焼きぶりを発揮して訊いてくる。
「平気よ、平気」
 心配掛けまいとアスカは笑顔作ったが、ヒカリの表情を見る限りあまりいい
笑顔は作れなかったらしい。
「それと――」
 ヒカリは、ひそひそ話するように顔を寄せた。
「碇君となにかあったの?」
 ヒカリの言葉にアスカは飛び起きた。
「なっ、な、な、な、な、なに言ってんのよっ」
 盛大にどもりながら叫ぶ。なにか知られてしまったのだろうか。アスカは血
の気が引く思いだった。
「え、だって、今日の碇君、ずっとアスカのほう見て、にこにこしてるわよ」
 言われて、シンジの席を見ると本当に笑顔でこちらを見ている。アスカと目
が合うと、さらに顔を破顔させた。
(あの馬鹿……)
 アスカは目の前が暗くなるのを感じた。あんなに露骨にされては、なにもな
いと思う方が変だ。
「もしかして……アスカが疲れてるのって……でもでも、そんな、いくらアス
カと碇君が同じ家に住んでるっていっても…私たちまだ中学生なんだし……う
うん、責めてるわけじゃないのよ。本当に好きな人同士だったら、自然なこと
だと思うし……私だっていつかは」
 ヒカリは頬を紅潮させ、自分の世界に入り込んでしまう。なんとか現実に戻
そうと、目の前で手を振ったり、肩を揺するが全く反応がない。と、
「ちょっと、ヒカリ。ねえ――」
 視界の隅にレイが廊下に出ていく姿が写った。


607 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/04(火) 03:51 ID:slyKOley
(チャンスね)
 レイにはシンジのことを問い詰めたいと思っていたが、さすがに他のクラス
メートの前でできる話ではない。ふたりきりになれる機会を待っていた。
 アスカは妄想に浮かされたままのヒカリを置き去りにして、廊下に走り出た。
 レイの背中を見つけ、追いついて腕を取る。
「ちょっときてっ」
 アスカは言って、手近な視聴覚室にレイを引きずり込んだ。滅多に使われる
ことのない特別教室で、案の定無人だ。アスカは念のため、後ろ手で鍵を閉め
た。
「なに?」
 なんの戸惑いも見せず、落ち着いた表情のままレイが尋ねてくる。
 アスカは一拍置いて、対決の覚悟決めてから言った。
「……あんた、シンジになにしたのよ?」
「私は、碇君が望んだことをしてあげただけよ」
 レイは笑みを見せた。人を馬鹿にしたような嘲りのように、アスカには思え
た。堪らなく頭にくる。
「なに言ってんのよ! シンジのやつ、おかしくなっちゃったんだからね――
今日は、すこし落ち着いてるけど。昨日、帰ってきた時なんて、酷くて見てら
んなかったわよ」
 アスカが語調を強くしても、レイは冷静な態度を崩さない。
「そう? でも、それが碇君の本当の姿なんじゃないかしら」


608 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/04(火) 03:51 ID:slyKOley
 本当の姿――アスカの脳裏に昨夜のシンジの痴態が次々に映し出された。
(あれが、シンジの本当の姿……?)
 そんなものは疑問でもなんでもない。間違いに決まっている。アスカは力一
杯、否定した。
「んなわけないでしょ! あいつのことはねえ、一緒に住んでる私が一番よく
知ってるのよっ!」
「そう。じゃあ、間違っているのは私の方かもね」
 レイがあっさりと自分の意見を下げたので、アスカは拍子抜けした。大声で
怒鳴った自分が滑稽に思えてくる。だが、言いたいことは言って置かなくては
ならない。アスカは気を取り直して、レイに告げた。
「と、とにかく。もう、シンジには指一本触れるんじゃないわよ。分かったわ
ね!」
「ええ。約束するわ」
 これまたあっさりと、レイは承知した。アスカの、自らの正当性を証明する
ために用意していた数々の言葉――中には暴言や、ただの悪口も含まれている
――は一気に霧散してしまう。
 今度こそ完全に肩をこけさせたアスカの脇を擦り抜けて、レイは鍵を開けて
廊下へと出ていった。
「あれ……?」
 取り残されたアスカは、掻き立てた闘争心のやり場を失い、休み時間中その
場に立ちつくしていた。


611 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/04(火) 05:26 ID:slyKOley
 風呂上がりのアスカは、スポーツドリンクを喉に流し込んだ。上気した身体
に冷たい水分が吸収されてゆくのが心地よい。
「ふぅ」
 と、入れ替わりに風呂に入っているシンジのことを思う。結局、レイになに
をされたのかは分からず終いだ。それとなく訊いてみても、シンジもあまり喋
りたくないらしい。
(どうしちゃったんだろ、あいつ?)
 以前から人の顔色を伺うところはあったが、それにしても異常すぎる。アス
カのために朝からご馳走を用意して、鞄を持とうとして、さっきも背中を流す
と言ってアスカを困らせた。昨夜、シンジが言っていたことを信じるなら――
おそらく本気なのだろうが――アスカが望めばどんな破廉恥なことでもするだ
ろう。
 今のシンジは、それに喜びを感じている。それは間違いない。逆に命令がな
かったり、奉仕を断ったりすると泣きそうな顔になる。
 そこにあるのはむき出しの好意。
(そりゃ悪い気はしないけど……)
 今のシンジにはアスカが全て――というはさすがに言い過ぎか。そこまでで
なくても、以前よりもシンジの中でアスカが重要な位置を占めているのは確実
なはずだ。
(悪いことじゃないわよね……。うん、悪いことじゃない)
 アスカは自分に言い聞かせるように、ひとりうなづいた。


612 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/04(火) 05:27 ID:slyKOley
 洗面所のドアが開く音がして、シンジが出てくる。上着を身につけ財布を持
っているので、アスカはあれっと思った。
「アスカ、僕、ちょっとコンビニ行ってくるね」
「なに買いにいくのよ?」
「シャンプー、切れちゃって」
 言われてみれば、アスカが使ったときにはもう残り少なかったような。
「べつに今すぐいかなくても、いいじゃない。湯冷めするわよ」
「うん。でも、ミサトさんが入るとき困ると思うし」
 シンジが言ってることは、至極真っ当だった――真っ当なのだが、なぜか今
シンジを外に出すのは躊躇われた。
「いいわよ。一日くらい髪洗わなくたって、死にゃあしないんだし」
「あは、でもアスカ、このあいだシャンプー無くなっちゃったときには、一日
でも髪洗わないと死んじゃうって、僕に買いにいかせたじゃないか」
 シンジは笑って言った。そんなこともあったかもしれない。
「そ、そうだった……?」
「じゃ、ちょっといってくるね。ついでに、なにか買ってこようか?」
「べ、べつにいいわ。気をつけていってらっしゃいよ」
 それ以上、特に止める理由もない。
「うん。いってきます」
 笑顔で言って、シンジは背を向けて玄関に向かう。その背中が奇妙に名残惜
しく、アスカは視界からシンジが消えてしまうまで、瞬きもできずにじっと見
つめていた。


613 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2003/03/04(火) 06:10 ID:slyKOley
 窓から差し込む月明かりを浴びて、少女が立っている。
 月光は彼女の白い肌を、さらに白く染めている。色素の薄い髪は銀髪のよう
に輝いている。それらが、紅い双眸をより映えさせていた。
 少女はなにをするでもなく、ただ窓の外の月を仰ぎ見ていた。
 やがて、静寂に包まれていた室内に、遠くから物音が聞こえてる。一定のス
ピード近付いてくるそれは、靴音だとすぐに知れた。
 音が玄関の前で止まり、扉が開き、さらに十分に近付いてから、少女はゆっ
くりと振り返った。
「きっとくると思っていたわ――いいえ、分かっていた」
 そこには、息を切らせた少年がいた。少年の頬が桜色に染まっているのは、
走ってきたからばかりではないだろう。
「望みを叶えて欲しいのならどうすればいいか、分かるわね?」
 少女の言葉に、少年は大きくうなづいた。もどかしげに服を脱いで、生まれ
たままの姿になる。四つんばいで少女に近付き、その足下に跪いた。
 少年は、丁寧に少女の靴下を脱がし、その素足に躊躇いなく――むしろ恍惚
を持って、口づけした。
 少女は、満足げな笑みを浮かべた。
 淡い月の光だけが、少女と少年を照らしていた。


 これは はじまりのおわり

 それは おわりのはじまり




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